ベトナム建国記念日

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9月2日はベトナムの建国記念日です。せっかくですからベトナムの近代史をできるだけ簡単に説明します。

ベトナムの近代史、独立宣言まで(簡単に・・・)

近代以前のベトナムは北部、中部、南部でそれぞれの王朝が立ち並ぶバラバラの国。
特に北部は、紀元前からおよそ1000年間、中華の冊封体制で従属させられてきました。

16世紀から18世紀の内乱時代を経て 1802年、阮福暎(グェン フック アイン)がベトナムの北部、中部、南部を統一したベトナム国家を成立させましたが、清(当時の中国)を宗主国として仰ぐことに。

その当時は、ヨーロッパ諸国のアジア植民地化が進められたた時代。
1858年、フランスのナポレオン三世はインドシナ出兵を開始し、激しい仏越戦争となりました。

1862年から1883年にかけてベトナム南部から始まった支配を中部まで押し上げてきたフランスに、宗主権を主張する清が抗議。

1884年、清仏戦争勃発。
ここの戦いで敗れた清朝はベトナムへの宗主権を放棄を余儀なくされ、ベトナムはフランス領インドシナ連邦に編入されます。
そしてフランスの支配は約60年続くことになります。

1904年、ベトナム国内ではフランスから自立を求める民族運動が起き、日露戦争に勝利した日本に支援を求めてきました。しかし日仏条約を結んだ日本は支援することはできません。
その後も独立運動が活発化がしますが、ことごとく弾圧されてしまいます。

そんな中で1930年、ここでホーチミンおじさんの登場。マルクス主義を学んだホーチミンは民族独立運動を指導し、ベトナム共産党を結成しました。

1939年、そうこうしているうちに、第二次世界大戦が勃発。

1940年、日本がベトナムへ進駐。 ベトナムはフランスと日本の二重の支配を受けることになります。

1944年、北部を中心に大飢饉が発生。数十万〜二百万の人が亡くなったと言われています。
この飢饉に対して有効な対策を取らなかったフランス植民地政府と日本軍の統制にベトナムの人は期待を失っていくことになります。

1945年、日本軍はフランス植民地政府を排除しベトナムを完全に支配下に置きます。
しかし日本の敗戦がほぼ決定になると、ホーチミンおじさんは総蜂起の指令を発し、8月19日  ハノイ市制圧に成功(8月革命)。

同年9月2日、日本はポツダム宣言を受諾し、ベトナムではベトナム民主共和国の独立を宣言しました。

 

ベトナム独立宣言

ウィキペディアに独立宣言の全文があります

 

最後に

ベトナムの「建国記念日」は史実に基づいて制定されてますが、日本の「建国記念の日」は古事記や日本書記にある「初代神武天皇が即位した日 」
日本という国ができた正確な日がはっきりとわかっていないため、正しくは「日本という国ができたことをお祝いする日」という神話を元にした記念日。素敵ではないですか!

戦後GHQから撤廃されましたが、復活の動きがたかまり昭和41年に再制定されました。
今この日を作ろうとしたら、きっと大きな邪魔が入って難しいでしょうね。

外国で生活していると、それぞれ文化など話し合うことがよくあります。
「え?日本には建国記念日無いの?」なんて恥ずかしい思いをしなくていいことを、先人の皆様に感謝したいと思います。

実はベトナムの独立宣言については考えるところを書いていたのですが、他国であまり政治的な事を書くと問題が生じかねないので大人しくしてくのが無難なようです(笑)。

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

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